2009年10月4日日曜日

東京オリンピック

ちょうどオリンピックが話題(わだい)になったところなので、少し東京オリンピックのことを。

第二次世界大戦で負けた日本が立ち直り、ぐんぐんと経済成長(けいざいせいちょう)しつつある1964年に東京オリンピックは開催(かいさい)されました。

日本が貧しい敗戦国(はいせんこく)から、世界の経済大国(けいざいたいこく)へと発展(はってん)を遂(と)げたのは、みんなのおじいさん・おばあさん世代(せだい)の人たちが、一生懸命(いっしょうけんめい)に働いてくださったおかげです。

1964年には、初めて新幹線が開通。高速道路も整備(せいび)され、大きなホテルもどんどん建てられました。東京が、どんどん新しくなり、国民が希望に満ちあふれていた時代といえるでしょう。


女子バレーは、ソ連(当時のソビエト連邦)を破(やぶ)り、金メダル。「東洋(とうよう)の魔女(まじょ)」というニックネームがつきました。


男子マラソン銅メダルの円谷幸吉(つぶらやこうきち)。自衛官(じえいかん)でもあった彼は、この大会のあと、「つぎのオリンピックでは金メダルを」という重すぎる世間(せけん)からの期待(きたい)と、自分の強すぎる責任感とに苦しみ、27歳で自分の命を絶ってしまいました。

以下(いか)、ウィキペディアより

「父上様、母上様、三日とろろ美味(おい)しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました...」で始まり「幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒(なにとぞ)お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側(そば)で暮らしとうございました」で結ばれている遺書(いしょ)にあった家族への感謝と「疲れ切ってもう走れない」の言葉は世間に大きな衝撃(しょうげき)を与えた。

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